第一章〜出逢い〜
「ねぇねぇ、貴方の名前聞いてないんだけど…」
むっつり押し黙ったイルドゥンに、アセルスが痺れを切らせて問う。
イルドゥンがアセルスを半ば睨むように見、言う。
「主上のお言葉を聞かなかったお前が悪い、半人」
そして再びイルドゥンは押し黙る。
痛い所を衝かれたアセルスは何も言えず、居心地の悪い沈黙を甘んじて受けた。
イルドゥンに連れられて来たのは陰気な雰囲気の、小さい街だった。
いや、町というより規模で見れば村と大差ないだろう。
イルドゥンは慣れた足取りで小さい店のドアへと進める。
店の中は窮屈そうに箪笥があり、あまり住みやすそうには見えなかった。
「いらっしゃいませ」
お針子の少女が、アセルスを見て一瞬怯えたように身を竦ませる。
同じ年頃の子がいて安堵したアセルスは、深い絶望へと落とされた。
「(あの子にとっての私は、妖魔なんだな…)」
自然、ため息が漏れる。もう自分は、人間には戻れないのだろうか…?
そう思うと、泣きたくなった。
イルドゥンの姿を認めた店の主人が、慌てた様子で転がり出る。
その様子は人間と妖魔の力の差ゆえの怯えがはっきりと見て取れた。
「い、いらっしゃいませ。高貴なる方にご来店頂き、光栄で御座います」
そんな主人にイルドゥンはそっけなく告げる。
「お前に命じておいた衣装を出せ」
その言葉に、心得たように頷く。
「はっ、お持ち帰りになられるのですね?」
では早速。という間もなくイルドゥンが命じる。
「これに着せろ」
「はぁ?」
「早くしろ」
思わず素っ頓狂な声を発した主人に、イルドゥンは怒りの声で急かす。
彼は一秒も早く、この人間臭い所から出たかった。
焦ったのは主人だ。聞き返そうものなら殺されかねない。
彼はお針子の娘に声を掛ける。
「は、はい。ジーナ」
「こちらへ」
ジーナと呼ばれた娘が、アセルスを誘導する。娘の頬は、薄く桃色に染まっていた。
「では、こちらの衣装に御召し換え下さいませ」
そう言ってにっこり微笑むジーナを、アセルスは羨ましく見る。
しかし、次の瞬間アセルスは悲鳴を上げた。
ジーナと主人がアセルスの服を脱がしにかかったのだ。
「きゃーーー!き、着替えくらい一人で出来ます!
……せ、せめて貴方だけでも先に下に行ってて下さい〜」
顔を真っ赤にして恥じる様子に、てっきり城の若君だと思い込んでいた主人は
ジーナにアセルスを頼み下へ降りていった。
そしてアセルスのそんな様子にジーナも思わず笑みが零れる。
クスクスと声を殺して笑うジーナと、照れたように笑うアセルス。
そんな二人は仲の良い姉妹のように見えた。
「私はアセルスって言うんだ。君は?」
「私はジーナと申します。3年前から、ここの親方の元でご奉仕させて頂いてます」
「私とあんまり歳離れてないのに、偉いね、ジーナは」
少し、羨ましい…。そうポツリと零したアセルスに、ジーナは優しく笑んで聞く。
「何か、お辛いことがおありでしたら、どうぞ話して下さいまし。
何の役にも立てませんが、話されるだけで気分が前向きになられることもありますし」
母のような慈愛に満ちた微笑を見て、ゆっくりと話し始めた。
自分の存在、化け物になったことへの恐怖、これからの不安、叔母の安否…。
話すうちに、段々と辛くなっていく。
ジーナはそんなアセルスを見て力になりたいと思った。
この儚く脆い、優しい人の支えになりたいと…!
「アセルス様、そのようなお顔をなさらないで下さい。
ジーナは、いつでもアセルス様の味方で御座います」
「…ありがとう、ジーナ。嬉しいよ。
…でも、そんな丁寧に話さなくってもいいよ?私は貴女と友達になりたい。
もう少しくだけて話してくれたら嬉しいな」
「まぁ、アセルス様ったら」
クスクスと、少女たちの笑い声が部屋を満たした。
ジーナとひとしきり話し気分が多少軽くなると、もういい加減下に行かなきゃと思った。
「では、アセルス様は御先にどうぞ。私は、ここの後片付けがありますから」
「うん、わかった。また来るね、ジーナ」
「はい。お待ちしてます」
「一応、格好は付いたな。帰るぞ」
下で待っていたイルドゥンに、少なからず驚かされた。
てっきり、もう勝手に針の城へ戻ったとばかり思っていたのだ。
「待っててくれたの…?」
呆然と問うアセルスに、イルドゥンは不愉快そうに答える。
「主上から任されたのだ。如何に不本意とはいえ、主上直々に命ぜられれば否は言えぬ」
一人では心細いだろう。とかそんな優しい言葉を期待したアセルスは一気に脱力した。
「あーあーそーですか!さすが妖魔ね!人を心配なんてしない種だもんね!!」
ふんっと鼻を鳴らし店を出て行く。
イルドゥンはイルドゥンでその通りだと言うため、二人は口喧嘩をしたまま城門を潜った。
ぎゃーぎゃーと姦しく去って行った少し後、ジーナが降りてきて、主人に向かって言う。
「あの方、女性だったんだ」
「若君じゃなかったな。だが、どっちにしろ妖魔だ!」
主人は憎しみを込めて、そう怒鳴り散らすと、怒りの収まらない足取りで仕事に戻って行った。
ジーナはずっとドアを見つめ続けていた。胸に固く誓った思いを繰り返しながら……。
ぷりぷり怒ったアセルスが部屋に戻ろうとすると、イルドゥンは慣れた手つきで襟元を掴み、
アセルスを引きずっていく。
「ちょ、ちょっと、どこに行くのよ!もう部屋で休みたい」
「馬鹿者!貴様に休みなどあるものか!
…これから、もう一人のお前の教育者と会いに行く。
…良いか、無礼な真似はするなよ」
ギロっと睨むイルドゥンに、アセルスは溜息を吐く。
「わかった、わかりました!わかったから離してよ…」
その部屋は、アセルスにあてがわれた部屋の構造と同じだった。
只一つ違う事といえば、部屋の真ん中に薔薇の蔦で包まれている棺があることだけ。
イルドゥンが棺の横に傅くと、棺が眩い光を発した。
あまりの眩しさにアセルスが目を瞑り、再び目を開くと棺の中に美しい女性が立っていた。
黒い艶やかな髪に白い薔薇の髪飾りがとてもよく映えていた。
瞳はアメシストよりも透明感があり、これぞ絶世の美女と呼ばれるに相応しい女性だった。
女性はアセルスへ向き直り、優雅にお辞儀をして見せた。
「アセルス様、ご機嫌麗しゅう」
鈴が鳴るような、軽やかな美しい声。
異性だけでなく、その美しさは同姓でさえも虜にしてしまえる程…。
「あ、あなたは?」
多少ドギマギしながら聞く自分の声はお世辞にも綺麗とは思えなくて…。
アセルスは目の前の女性に軽い嫉妬と、深い羨望を覚えた。
「主上の第46番目の寵姫、白薔薇姫であられる。
…白薔薇様、御久しぶりです」
不愉快そうな顔にも、多少の笑みを浮かばせ、イルドゥンが手を差し出す。
その手をさも当然のように取り、ゆっくりとしかし気品は失わずに棺から出る。
嬉しそうに、イルドゥンに微笑みかけるその様は、正しくお姫様だった。
「イルドゥン、久しぶりですね。変わりなく、何よりです」
「白薔薇様は歴代の寵姫の中でも、その優しさは随一であった。
お前の教育係などにはもったいないお方だ」
はっと頭を下げ、アセルスへ説明する。
イルドゥンの物言いに多少の引っかかりはあったものの
確かに、とても優しい印象を受けた。
それは、柔らかい微笑みから来るものなのだろうか…?
「…寵姫って、どういうこと?」
イルドゥンに対して問いかけたのだが、白薔薇姫が嬉しそうに話しかけた。
「これから、順々に御教えします。妖魔の事、私の事、オルロワージュ様の事。参りましょう」
オルロワージュの名を出した途端、白薔薇姫はいっそう嬉しそうに顔を綻ばせた。
その微笑みはまさに華の様で、見る者総てを魅了する程だった。
アセルスがファシナトゥールで暮らし始めてから数日が経った。
複雑に入り乱れた針の城は迷路のようで、目的地に着くまでかなりの時を要した。
アセルスが、いつも通り白薔薇姫を誘いに廊下を歩いていた時だ。
そいつはピジョンブラッドのような赫い髪を高い位置でざんばらに束ね、
胸に星型ニプレスを張りボンテージを着込むというかなり奇抜な格好をしていた。
「(うっわ、何あの人…。あの人も、妖魔なのかな…。
それにしても、妖魔って本当に、どんな格好でも似合っちゃうのね。
でも、あんな格好の人とオシリアイになるのは、さすがに勘弁だけど)」
そうは思うが、その奇抜な格好の妖魔は必要以上にジロジロと
まるで観察でもするかのように見てくる。
嫌悪の眼差しなら、今まで散々浴びせられたから今更たじろぎはしないが
嫌悪も憎しみも何もない、むしろ嬉々とした視線を浴びせられればさすがに気になるというもの。
止せばいいのにと自分でも思いながら、その妖魔の方へ向く。
「お前が魅惑の君から血を与えられたという人間か」
思ったよりも高めの、少年のような声で拍子抜けした。
他の妖魔みたく、低い声なのだろうと思っていたからだ。
「貴方誰?人をジロジロ見るなんて失礼でしょう」
アセルスがそう返してくるとは思っていなかったらしく、男は目を開き、悪戯っ子のように笑う。
「ふーん、なかなか気が強いんだな。これなら面白くなりそうだ」
瞳を輝かせ言うその姿は、本当に子供のような印象を与えた。
「おっと、誰か来る。これで失礼」
小馬鹿にしたように優美に一礼をすると、クスクスと笑い消えて行った。
妖魔が去ったすぐ後、二人の兵が現れた。
「おい、今、ゾズマがここにいたな!」
「この城に入り込むとは許せん奴だ」
「まだその辺りにいるかも知れんぞ」
兵はアセルスなんぞ見えないかの様に言い合い、姿を消した。
「あいつ、ゾズマっていうのか」
暫くして、呆然と呟く。
目の前で目まぐるしく消えたり現れたりする様は、あまり馴染めそうにもないなと思いながら…。
後書き
はい、『アセルス編第一章〜出逢い〜』如何だったでしょうか。
えっと、ジーナ、白薔薇、ゾズマのアセルスに深く関る3人との出会い編になります。
はい、ゾズマはあんまし深くないぞ〜御思いのアナタ!
野暮は言っちゃいやぁよぉvv(阿呆)私はゾズアセ派なので、深いんです!!
アセルスの着替え、親方に見られてるってすっごく思ってたので、変えちゃいましたv
あと、アセとジーナの話。打ち解けるの早めちゃいました。
03.12,10UP
序章〜始まり〜へ 戻る? 第二章〜変化〜