序章〜始まり〜
少女は目の前の光景を呆然として見ていた。突然すぎて、脳が理解を拒絶している。
いきなり、人間ではないと告げられた17歳の少女は、
震えることも忘れて唯立っているしかできなかった。
「アセルス〜、ここの本小此木さんとこまで届けに行ってくれないかい?」
「うん、いいよー。…よいっしょっと。じゃぁ、行って来る〜」
本を自転車の籠に入れ、元気良く走らせる可愛らしい少女、アセルス。
彼女は数年前に両親を事故で亡くしてから、母の妹の元で暮らしていた。
アセルスの叔母はシュライクで本屋を営んでおり、お世話になるからと、アセルスが進んで手伝いだした。
アセルスの仕事は主に配達だが、
体力が衰え始めた叔母の変わりに、蔵書の整理などの力を使う仕事もこなしている。
子供のいない叔母にとって、アセルスは昔から実の子供のように可愛く思っていた。
そんな可愛い娘が、自分の為に重労働を代わってしてくれている…。
大変だろうに、無理をしなくてもいいのに…。
そう思いつつも、アセルスの優しさが嬉しく、ありがたく、ついつい甘えてしまっていた。
ずっと、こんな風に毎日が続いていくと思っていた。
アセルスは、結婚してもずっとここにいるよと言い、
叔母もまた、アセルスと何時までも暮らして生きたいと願っていた。
ありふれた、平凡な幸せ…。
その幸せが一気に崩れ、絶望の淵に衝き落とされる事など思いもしないで……。
蹄の音が聞こえ、アセルスは自転車を止めた。
「?…なんで?」
暫し物思いにふけボーっとしていると、T字路から幼い少女が飛び出し、アセルスの横をすれ違う。
「……」
少女とアセルスの瞳が一瞬だけ合う。美しいアメシストの瞳の少女は、その瞬間空間に溶けて消えた。
「!!…何…?消え、た?幽、霊?んな、馬鹿な…」
ははっと乾いた笑いを浮かべ、再び自転車を漕ぎ出す。
「私は何も見なかった。そうよ。幻覚よ、幻覚!きっと疲れてるんだわ」
帰ったら、早めに寝ちゃおう。
そう思い、先ほどの少女が出てきたT字路へと近づく。
グシャッッッ!!
鈍い衝撃と共に、アセルスの意識は完全に闇に溶け込んだ…。
「主上、人間を轢いた模様です。零姫様は如何致しましょう?」
淡々と、御者が口を開く。その声色は尊敬も、畏怖も、嫌悪も、何も浮かんではいない。
唯事実のみをありのまま伝えるだけ…。表情のない顔は、人形のように整っていた。
「……戻るぞ。アヤツの気配が消えた。もうここには居るまい…」
対して口を開いた男も表情のない顔で返す。
時代遅れとも思われる馬車を帰そうとすると、再び男が口を開く。
「待て…。人間を轢いたと言ったな…」
男は馬車から降りてアセルスを見下ろす。
「人間はこの程度で死ぬか…。儚いものよ…」
口から紅い筋を垂らし眠る姿は、穏やか過ぎる程だった。
苦痛も、恐怖もない、穏やかな…。
男の表情は憐憫の情も浮かんでおらず、そのまま馬車へ戻ろうとする。
御者はそんな主を不審気に見やる。御者の心中を察したかの様に、突然馬が跳ね、男の手を傷つけた。
男が瞳を向けるとそれだけで馬は吹き飛ばされ、あたりに青の花を咲かす。
馬に傷つけられた手から流れる血は蒼く、人ならざる者だと言う事を告げていた。
蒼い血はそのままアセルスへと流れ、馬に蹴られた傷を見る見るうちに治してしまった。
「主、主上!人間が…」
御者の声で振り向く。
依然としてアセルスは眠っている。起きる気配すらない。
男は多少眉を動かすと、かすかに笑った。
初めて興味が湧いた。
「…ほう…。偶然とはいえ、我の血を受け入れおったか…。
…大して面白みのない人間だが、このままにしてはおけんな。
こやつを馬車に乗せろ。我の後継者候補として、このまま針の城で教育する」
「はっ」
御者は傅き、アセルスを物の様に馬車に放り込むと、男の乗り込むのを待ってから空間に溶けた。
アセルスが針の城に連れ込まれて数年。
未だ昏々と眠り続けるアセルスに近づく影。
月明かりを背に受けている為、相好の判別は難しい。
只、ざんばらな髪を一つに纏め上げているのがわかる。
ゆっくりとした優美な動作で男は寝ているアセルスを覗き込む。
「へぇ〜、これが噂の若様かぁ。まだまだ子供じゃん。オルロワージュ様もヤキが廻ったかな?」
おどけた様に言った自分が可笑しかったのか、クスクスと笑い頬に軽く口付けを落とす。
「じゃぁ〜ね〜」
それだけ言うと、またクスクスと笑い消えていった。
初めに感じたのは違和感。
自分の体が自分の物じゃないかのような、不思議で気持ち悪い感覚。
次は部屋。
薄暗いランプに浮かび上がる部屋は、広くはあったが荒んだ印象を与えた。
勿論、アセルスの部屋ではありえない。
そして、むっとするほどの強烈な薔薇の香り…。
アセルスは眼前に迫る馬車を見て悲鳴を上げた。
「キャーーーーー!!!…ハァ…ハァ…。ゆ、夢…。
…やな夢だったな。…ここ…は?
服が破れ…これ、血の痕?どこか怪我したのかな…。
じゃぁ、ここってもしかして病院なの?」
混乱する頭で必死になって考えていると、虚空から低い声が響いた。
「お目覚めの様だな。やはり人間。目覚めが早い」
空間が歪み、一人の男が姿を現した。何もない所から、突如として。
男はとても美しい顔をしていた。深い緑の髪に、金の瞳が映えている。
しかし、そんな男の美貌にアセルスは戸惑うことなく話しかける。
「誰?ここはどこ?一体何があったの?」
アセルスの矢継ぎ早の質問に、男が不愉快そうに顔を歪める。
「質問に答えよとは仰せつかっておらん。私の役目はお前の目覚めをお知らせすることだけ」
「知らせるって、叔母さんに?」
再び質問するアセルスに、うんざりした様に口を開く男。
「何が起きたか全く分かっておらん様だな。
…ここはファシナトゥール。我が主、魅惑の君オルロワージュ様の世界だ」
それだけ言うと、男はもう話すことはないとばかりに虚空に溶けて消えた。
「待って、オルロワって何者!…消え…た…。落ち着け、落ち着かなきゃ…。
…そう、叔母さんに言われて、小此木さん家に届け物をして、帰り道で…。
!そう、私、馬車に撥ねられて…!…馬車?何で今時馬車なんかが…?
ああー、駄目だわ。夢とごっちゃになっちゃってる。…私、どうしちゃったんだろう」
混乱する頭を振り、軽く深呼吸。
「とにかく、ここがどこか確かめなきゃ。まだ夢見てたりしてねっ!」
寝台から降り、そぉっと部屋から出てみると、隣の部屋に所狭しと棺がならんでいた。
「何、これ。…ひ、人が…入ってる……!これ、全部!?」
考えるだけで寒気がしてくる。ここの人等は皆死んでいるのだろうか…。
何故こんなに残しておくのか…。それに、なぜ薔薇の蔦が棺をくるんでいるのだろう。
出ないように…?何が…?ここの死体が…?
そこまで考えて、アセルスはうんざりした。いくらなんでも荒唐無稽すぎる…。
そもそもここの人等が死んでいると決まったわけではないのだから…。
そう思い直し、アセルスはびくびくと棺の合間を縫って廊下へと出た。
廊下には薔薇が群生しており、蔦が廊下の手摺にまで絡まっていた。
空間転移を行う小部屋へ迷い込んだアセルスは、水に浮かび上がった自分を見て小さい悲鳴を上げた。
「な、何で…?どうして、髪の色が、違うの…?目の色も、違う…。
私、…どうして……」
アセルスは、自分の髪が自慢だった。手入れを欠かさず、柔らかに躍っていた茶色の髪が…。
好きだった。大きく、クリクリした茶色の瞳が…。
アセルスに合う色合いだねと、あの人が言ってくれた茶色の髪と瞳が…。
少しの間失くした色彩と、己への不安感とで、声を殺して泣いた。
空間転移によって移動した部屋から外に出ると、アセルスは小さく歓声を上げた。
そこには大小様々な花が美しく咲き乱れていた。
その花々が、ここの城民の渇きを抑える為だけに咲いている事を知っていたら、
只無邪気に笑ってはいなかったろう。花々の運命を憤ったかもしれない。
「こんな所にも花がある。ここの城主も、意外といい趣味かな」
アセルスが花畑へと足をやる。白い小さい花が、アセルスに触れ可愛らしく揺れてる。
笑みを浮かべ花を眺めるアセルスに、強烈な痛みが襲った。
目眩を起こしそうな程の痛み。火傷の様な熱さ。
熱い場所へ目をやると、腹部から刃が生えていた。
「う……」
白銀の刃と白い花が、アセルスの血で鮮やかな紫に染められた。
「血は紫か」
遥か頭上から、アセルスを眺めていた男が口を開く。
その男は、アセルスを轢いた馬車に乗っていた、主上と呼ばれた男だった。
男はバルコニーから血の色を確認すると、手当てをするわけでもなく、そのまま奥へと消えていった。
男に付き従っていた数人の次女等も、男が完全に消えた後に姿を消した。
アセルスはノロノロと起き上がり、信じられない思いで己を見る。
「…生きてる…。…!傷が…、…ない!…夢なら、夢なら覚めて、お願い……!!」
誰もいない白と紫の花畑に、少女のすすり泣く声のみが響いた。
アセルスは城を彷徨い、立派な扉の前に辿り着いた。
扉は開いており、如何にも入って来いと言わんばかりだった。
中を覘いて見ても薄暗く、誰がいるのかも、何があるのかも分からなかった。
アセルスは慎重に扉を潜り、奥へと歩いて行った。
奥は意外に明るく、数人の人間がいるようだった。
皆自分を見ていて、少しばかり緊張した面持ちでまっすぐに歩く。
目指す場所は、上座に居座る絶世の美丈夫…。
「名は?」
男が口を開き問う。上座にいるのだから、ここの誰よりも偉いのだろう。
口調にも、そんな傲慢な態度が現れていた。
男はアメシストの髪と瞳を持っており、この場の誰よりも美しかったが、
アセルスはそんな事は気にせずに言い放つ.
「私はアセルス。でもね、人に尋ねる前に自分で名乗るのが礼儀だと思うな」
「この無礼者!」
アセルスの物言いにすぐさま反応したのは、
左側にいたアラゴナイトの髪にサンドローズの瞳を持つ男だった。
しかし、言われた当の男は別段気にした風もなく、面白そうにアセルスを見返す。
「アセルスか。人間にしては気の利いた名だな。気も強い。良い事だ」
じろじろ見る、未だ名乗りを上げない男に、アセルスが急かす。
「そろそろ名乗ったらどう?」
「魅惑の君」
驚いたことに、声は目の前の男のものではなかった。右側にいる、新緑の髪をした男が口を開いた。
「無慈悲な王」
次は左側にいる侍女。
「薔薇の守護者」
さっきアセルスに怒声を浴びせたアラゴナイトの髪の男が。
「闇の支配者」
右側の侍女が。
「美しき方」
アセルスが目を覚ましたとき現れた男が。
「裁きの王」
左側奥の侍女が。
「ファシナトゥールの支配者 この針の城の主」
先ほどのアラゴナイトの髪の男が。
「妖魔の君 オルロワージュ様」
右側奥の侍女が。
一糸乱れぬテンポで言っていく様は一種、壮観とも言えるが、
アセルスにしてみたら、ただただ呆れるばかりだった。
「(自分の名前くらい、自分で言ったらいいのに…)」
そう思ったが、聞きなれない言葉を聞いて、すぐさまそちらへと反応した。
「妖魔!妖魔だったのね。私は人間、貴方達には関係ないわ。家に帰して!」
男、オルロワージュはそんなアセルスを笑って
「先ほど花壇で見なかったのか?お前の血は紫だった。お前はもう人間ではない」
そう告げる。
「ウソ」
「セアトの剣で串刺しにされた。その傷はなぜない?そもそも、我が馬車に轢かれてお前は死んでいた。
お前が甦ったのは我が蒼い血の力。
妖魔の蒼と人の赤、二つの血が混じりあい、お前の血になったのだ」
「紫の血の半妖半人だ」
その言葉は淡々としていた。否、淡々としているからこそ、それが紛れもない事実だと告げている。
「わたしが…」
オルロワージュがまだ何か言っていたが、アセルスは聞いてはいなかった。
只呆然と、己の手を見ている。
「仮初めにも我が血を受けし者、それなりの物事を見に付けて貰わねば。イルドゥン」
「はっ」
イルドゥンと呼ばれた、翡翠の髪に金の瞳の男が傅く。
「どうして…」
17の少女には重過ぎる真実は、アセルスの心を今にも壊しそうな程だった。
「この娘の事、お前に任すぞ」
「はっ」
深く頭を垂れると、アラゴナイトの髪の男が割って入る。
その口調はイルドゥンを嘲っており、聞いているだけで不快になる声だった。
「イルドゥンでは力不足では?何かの時に醜態を曝すことにも」
翡翠の髪に晴れ渡るスカイブルーの瞳の男が否定する。
「イルドゥンの身のこなしの素早さ、剣さばき、どちらも十分だ」
アラゴナイトの髪の男を睨むわけでもなく、穏やかに見ると、キッパリと言い切る。
「セアトよ、お前ごときが口を出す事ではない」
セアトが男を睨む。
「ラスタバンの言う通り、妖魔の力を教えるのはイルドゥン一人で十分だ」
「半妖…」
アセルスは考え込む。
「だが、立ち居振る舞いを見に付けさせる為に我が姫の一人も付けるとしよう。
白薔薇を目覚めさせておこう。二人で立派に教育しろ」
オルロワージュは眉を顰める。
「まずはその汚らわしい格好を何とかしろ」
そう言うと、オルロワージュは虚空に溶けて行った。
そんなオルロワージュを追うように、4人の侍女達も姿を消す。
オルロワージュと侍女が完全に消えてから、セアト、ラスタバンが消え、
謁見の間にはアセルスとイルドゥンのみが残された。
しかし、アセルスはそれにも気付いてはいなかった。
「妖魔…、半妖…、蒼い血…、紫の血……」
そんなアセルスをうんざりしたように見、声を掛ける。
「いい加減に現実を受け入れろ、半人。
半分だけでも妖魔の仲間入りが出来たのだ、ありがたく思え。…行くぞ」
その言葉に、ようやく顔をあげる。
「…どこへ?」
「血の巡りの悪い娘だな。主上のお言葉を聞いてなかったのか?
…根の町の仕立て屋へ行く。お前の服が仕立ててある」
それだけ言うとイルドゥンはアセルスを置いて踵を返して行った。
「…半人、半妖か…」
そっと呟き、アセルスはイルドゥンを追って走り出した。
後書き
サガフロ連載物アセルス編で御座います。
ここまでお読み下さいまして、誠に有難うございますvv
どこまで書けるかわかりませんが、頑張っていきたいですvv
作中にこそっとゾズマ出しちまったのお気づきですよね?
待ち伏せの時考えんといかんなぁ(苦笑)
あと、オルロワの怪我、かーなーりー厳しい…。てか無理やりだなぁおいって感じ。
大目に見て頂けたらかなり嬉しいです。
さてはて、アセルスは人間に戻れるのでしょうか?
少ししたらオリキャラ出てきますんで、ご了承下さい。
では、失礼します。
03.9.24UP
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