青年は夢を見た。

…深い、黒い闇が青年を追いかける、そんな夢を…。


夢の中で青年はひたすら逃げ続ける。
闇が青年を飲み込んだら何が起こるか解らない。
…否!解らないからこそ逃げている。

青年が少年だった頃、もっと薄く、今にも消えてしまいそうな程だった闇は、
青年が年を重ねれば重ねるほど、青年の魔術の腕が上がれば上がるほど…、
濃く深く、…より濃厚に…。
それに比例するかの様に闇に対する恐怖は年々酷くなってゆく…。

絶対に捕まってはいけない…!捕まったら取り返しが付かない…!!

漠然とそう思うようになって、何年たつだろう…。

いつも捕まる直前で目が覚める。走って、走って、逃げて、逃げて…。
…だけど、いつも思う。

『今日もきっとすぐに目が覚める…』

その思いゆえか、油断が生じる。絶対に捕らわれる事なんてないと。
捕らわれないのだから、逃げなくてもいいと、捕まる前にどうせ目が覚めるからと…。


だがその日はいつもと違った。
いつもならとっくに目を覚ましている。感覚で解る。いつもなら、覚めている…。
だけど、覚めない。覚めてくれない…。

闇が勢いをつけて迫ってくる!
青年は迫ってくる闇と、なかなか目覚めない己を罵った。
しかし、いくら罵ろうと、それで覚醒を促すことはできない。
目が覚めるはずだ…。覚めなければいけない!
青年は焦った。焦ったために、思考が上手く廻らない。

これは夢だ。夢だから終わりがある。終わりのない夢なんて聞いたこともない…。

だって、もしこのまま目が覚めなかったら、俺は、いったいどうなるんだ…?

こんな事有り得ない。これ以上酷い事なんて起こるはずがない。

覚めろ覚めろ覚めろ…。頼むから早く目を覚ませ!!覚めろ、覚めろ…。


覚めろおおおぉぉおぉぉぉおぉ!!!!




心の中で絶叫する。しかし一向に覚める様子がなく、闇が肌で感じられる程の距離に差し迫る。
恐怖で顔を歪め、首を左右にゆっくりと振る。歯が、カチカチと鳴り、足に震えが来る。
蒼白な唇から、喘ぎが漏れる。自分でも意味不明な喘ぎ。
堪らず恐怖に負け、走る。

心の奥深くから溢れ出す純然たる恐怖…。


青年が恐怖に駆られて走る。あたりの闇なぞ、青年を追う闇に比べたら遥かに可愛いものだった。
ふと、前の方に人の気配がした。不思議に思いつつも、慎重に近付いて行く。
いつもの青年なら犯さない愚かしい行動。
しかし、今の青年は恐怖で我を忘れかけている。
何より不安で堪らなかった。誰かに側にいて欲しかった…。

…コワイヨ……サビシイヨォ…

そんな青年の幼子の様な思いが、人影へと歩を進めさせる。

真っ暗の中にポッカリと浮かび上がる人影は、酷く青年に似ていて…。
それでいてその顔には表情がなく、影かと思われた顔の一部は、どす黒い血で塗れていた。

ヒッ!

喉が鳴る。血で塗れた顔半分はズタズタで、原形を留めてはいなかった。
青年とよく似た紅い法衣に、そこから延びるマント、
そして、紅白だと思われた靴までも、際限なく血がこびり付いている。
よく見ると、美しくも怪しい輝きを放つブロンドも所々血で汚れて、てらてらとした鈍い光を放っている。

様々な、血とは違う色が所々に見え隠れする。

ただ薄く開かれた瞳が、どこまでも紅く…。
その紅い瞳は、青年に鮮血をイメージさせるには充分で…。
慄いていると、そんな青年を嘲笑うかのように、もしくは見下すように、
ゆっくりと瞳が細められてゆく。
もともと薄くしか開かれていなかった瞳は、糸の様に細められた。
瞳に合わせ、ゆっくり口元がつり上がる。

その表情は、見てはいけないもののような…、邪なもののような…。
しかし、なぜか無性に引寄せられる…。

青年の足は、意思とは無関係に血に塗れた青年に向かう。


ちゃぷ…

歩くたびに、床の液体が耳障りな音を立てる。
その音を聞き咎め、ついっと下を見て、青年は絶句した。
血みどろな青年を囲うように、血が、溜まっていた。
咽返るような血臭に、うっと仰け反る。

足が止まらない。これ以上進みたくはないのに…!

思いとは裏腹に足は動き、一歩一歩血塗れの青年へ近づいて行った。
一歩足を踏み出すと、床の血が跳ね踊り、青年のブーツを侵蝕してゆく…。


青年が血で穢れた手を、ゆっくりと伸ばしてくる。
その、愉快とも、憂いとも、どちらとも付かない表情を見ていると、
ぼぉっとし思考が働かなくなる。
それに比例し、体の自由も利かなくなった。
金縛りのように動けない青年の頬を、ゆっくりと、緩慢な動作で撫で付ける。

ぴちゃ…ぴちょ…

青年の頬は、だんだんに血で汚れていった…。
頬から流れる血が、青年の法衣を赤黒く染め上げる。
晴天のような晴れ渡る色の法衣は、その血の色で不吉な色合いを醸し出している。

空ろな瞳で、ただただ青年を血で穢している紅い青年…。
それを、これまた虚ろな瞳で見返し、なすがままになっている青い青年。
赤と蒼のコントラストは、相反する物とは思えない程よく合っていた。

虚ろな瞳が異物を見かけ、はっと我に返る。
そしてすぐさまそれを後悔した。

遥か遠くに見えるアレは…、折り重なって、モノみたいに見えてしまうアノ山は…、


人の…、死体だ……。

夥しい数の死体。腐臭がここまで漂うのではと疑いたくなる程の…。

よく見ると、人以外のものの屍骸まで積み重なっている。
白い法衣を着た術士らしきモノはズタズタで、顔の相好がつかない。
淡い燐光を放つ美しい獣…だったのだろう…。所々焼け爛れている。
燃え盛るような鳥は翼がもげ、ピンク色の血肉が見える。
子蜘蛛を護るように息絶える親蜘蛛。
四肢がバラバラにされている人等…。
幼い子供や赤子まで、無残な姿を曝している…。


とたんに吐き気を覚える。
手で口を抑え、必死になって嘔吐感と闘う。
脂汗が出、周りの酷い血臭も伴い、嘔吐感が酷くなる。

紅い青年は、感情を伺えない空虚な瞳でそんな青年を見返す。

ばしゃんと、膝を血溜まりにつけ、必死になって気分を和らげようとする。




ふと、背に強烈な熱と痛みを感じた。
今まで吐き気を抑えていた唇から、一筋の紅い線が流れる。

ぐぼっ

何を思うまでもなく、口から大量の血を吐き紫になった法衣を更に紅く染める。

口に苦い鉄の味が広がる…。

傷の痛みと咽返る程の死血臭に、青年はとうとう意識を手放した。

紅い青年は、空虚な瞳を向け、薄く、どこまでも薄く笑う。
その微笑と共に段々と形が崩れ、青年のシルエットは完全に闇と同化した。
今まで青年を追っていた闇は、昏倒した青い青年を飲み込んだ…。





「……!!!…………ぁ、ユメ…?ぃつもの…、ユメ…」
目覚めた青年は、汗だくになった体を固く抱きこむ。

何時になく厭な夢だった気がする。
だが、所詮は夢に過ぎん…。

そう思い、今日行われる青年の修了式の為起き上がった。


もう悲劇が始まっているとも知らずに…。









ルージュを殺せ!!






後書き

うわ暗っ!!ここまで暗くするつもりなかったんだけどなぁ〜…(苦笑)
ルージュなんて出すつもりなかったし。(ルージュ以降はまったく予定と違ってます・苦笑)
二人の対決を軽く暗示させたんですが、勝敗は不明です。
死体の山は、これからブルーが「術の為」と見捨てた者、手を下した者です。
なので時の君と麒麟もいます。朱雀もいるはず。
ブルーの様々な未来を暗示している夢なので、
キングダムの女神の奥の装置を破壊した場合の被害も一緒になってます。
夢は精神的なものなので、ブルーは無防備です。
肉体は厚い殻で自身を覆い隠せるけど、魂までは覆えないので。



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